review 0005 : No.5 / シャネル
【香水名】No.5 / No.5
【ブランド名】シャネル /CHANEL
【発売年】1921年
【パフューマー】エルネスト・ボー / Ernest BEAUX
【香りのノート】フローラル
【香りのポイント】アルデヒド、ジャスミン、ローズ
【レビュー対象製品・価格】オードパルファム 50ml ¥12,000(本体価格)
※レビュアーが実際に試香した製品のみ記載しています。価格はレビュー当時のものです。
香水の代名詞のような「シャネルの5番」。その名を聞いた時、あなたは何を想像するでしょう。親に捨てられ、修道院で少女期を過ごしたデザイナー、”ココ”・シャネルのドラマティックな人生?コレクションを見た身長170cmの顧客と160cmの顧客から同じドレスの注文を受けた時には、バランスが崩れないように異なる大きさのボタンを作り始めるところから贅を尽くす、シャネルのオートクチュールの世界?マリリン・モンローのセクシーな姿?… 何層にも重ねられた『No.5』の持つイメージは一つ一つのボリュームが大き過ぎて、手に取ることを躊躇してしまう人もいるかもしれません。
よく知られているように、『No.5』は合成香料アルデヒドをオーバードーズ(過剰処方)した香水として、その個性を実現しました。パフューマー、エルネスト・ボーは「花の香りではなく、女性の香りをつくりたいの。」というガブリエル・シャネルの要求に応えた名香を提案しましたが、その香水の原料には世界で最も贅沢とされるフランスのグラース産のジャスミン、センティフォリアローズ、そして当時盛んに生産されていたネロリなどの本物の花の香りが欠かせなかったのは当然でしょう。花の香りには人の発する香りと共通する香りの分子がたくさん含まれているのですから。
現在でもグラース近郊のシャネル社の専用の花畑では、5月にはセンティフォリアローズが。7月から10月までジャスミンの花が咲き誇り、畑に近付くにつれて芳香が漂って来ます。貴重な花の香りをわずかでも逃さないために、大勢の人の手によって、その日に咲いた花はその日のうちに、明日咲く蕾を傷つけないように慎重に摘み取られて、畑のすぐ横にある工場へと運ばれます。現在は法律により子供の労働は出来ませんが、グラースに住む80代の男性たちは「子供の頃は花を摘んで、おこずかいをもらったよ。それを貯めて欲しいものを買ったんだ。自転車とかね。」と懐かしそうに教えてくれます。
工場へ運ばれた花はkg数を測られた後、すぐに溶剤抽出されて、必要に応じてアブソリュートに、またはコンクレートの状態のままで保存されます。
ほんのり苦味を感じるシトラスの香りを含んだのネロリの花と、アニマリックな香り成分が少ない清らかなイメージのジャスミン。南仏の風のように軽やかなでありながら複雑なセンティフォリアローズ。実際に『No.5』の香りを試すと「思ったより強くないですね」という方が多いのです。女性の香りを作りたかったガブリエルは、幸せな女性の香りを作りたかったのです。恵まれない子供時代を過ごした彼女にとって、幸せの条件として必要だったのは環境と愛情。現実的に生きるために必要な環境の象徴は洗い立ての清潔なリネンの香り。精神的に満たされて活躍してするために欠かせないのは恋人から贈られる花束の香り。この二つが常にあれば女性の幸福はほとんどが叶います。ファッションにおいても機能的でミニマルな表現を好んだこの女性デザイナーは自らの初の香水でもその考えを貫いたのです。
そして、なぜ『No.5』の香りにはセクシーさを感じるのでしょうか。『No.5』は最愛の恋人、ボーイ・カペルを自動車事故で失った心の痛みに耐えるために選ばれた香りだった、とも言われています。彼が亡くなった後、ガブリエルは彼との夜を過ごしたベッドにただ横たわったまま、長い時間を過ごしたのです。清潔なシーツに愛を交歓した男女の肌の匂いがうつった、その香りに浸りながら心の傷を癒したのです。幸福とエロスの記憶を思い出させる香り。それは、ムエットの上では凛とした冷感を感じさせるアルデヒドが体温で温められて、人の肌そのもののように香る時に蘇ります。
『No.5』は「20代の時に試したら全然良さがわからなかったけれど、年齢を重ねていくうちに手放せない香りになりました」という方が多い香水です。深い愛と深い悲しみを知っているか、いないか。創造のエネルギーの源となるエロスを肯定できるか、出来ないか。『No.5』のオードゥパルファムにどれくらい惹かれるかで、女性としての成熟度がわかるような気がします。
ガブリエル・シャネルは自身が上流階級社会の人が集う社交界に受け入れられ華やかに過ごしながらも、ドゥミ モンデーヌと呼ばれた裏社交界の女性の魅力も認めていました。それらの女性はゴテゴテ押した濃厚な香りではなく、むしろやさしいフローラルの香りを漂わせていたからです。どのような女性でも、纏えば魅力的に映る。まさに香りで自分を美しく演出できる。女性が憧れる、香水の持つマジカルな力を1921年にすでに発表されていたことに感動します。
香水って好き嫌いでつけるものではないのです。
あなたの生き方を表現するために、香りを纏うのです。
だからこの香水が好きとか嫌いとか、そこで見るのではなくて
こういう私でありたいから、この香りを纏う。
どのような自分でありたいのか。そのような疑問まで突きつけられるのが『No.5』。ですから一生離れられない香りです。
レビュアー 地引 由美 Yumi JIBIKI 2017年10月